許麻神社 慣行神事について

許麻神社 慣行神事について

当神社における祭事は、別記の「案内記」に記載しましたが、特に夏祭において、7月19日は年中最も賑々しき祭典が行われたもので、古より記録されているものを記載してみました。

往時の祭事 : 元禄年間(1688年~1704年)の記録には『往事、夏・秋の祭祀ともに、神宮寺観音院の住職が献湯の儀を執行し神楽を奉じて賑はい、夏祭は、6月19日(旧)で猿田彦を先頭に甲胄姿の武士が数人従い「明憧幡」を捧げる白丁数十人を連れ、御輿は若者が奉仕して、夕暮発輦し氏地である久宝寺・顕証寺に渡御し、翌朝鶏鳴の頃、還御した』と記述されております。(八尾市図書館 「式内社調査報告」より)

又、後年 昭和初期の祭事の模様を 「大阪府庁社寺兵事課」発行の「郷社現行特殊慣行神事」には下記のようにかかれている。

『渡御式の起源については、何蒔古い文献にて徴すべきもないが、往時よりつたえられるによって確かであり、毎年7月19日を夏祭典日と定め大祭を執行し、御輿の渡御がある。
7月19日は、本社に於いて最も賑々しき祭典が行われるので、前日の18日から、神縄を引き回し、
清被後・献灯の提灯数十張、水に映え、縁にうって神聖に旦つ美観を添える。
19日午後3時、御輿は社前を出発し、先つ大字久宝寺南町の小御旅所に入り、祭典を行い以下順次同様の次第にて、西町、北町、今口町、東町、大字三津村の小御旅所を過ぎて、午後8時頃大字顕証寺の本御旅所に着御、ここにて祭典を行う。このときより点灯する。

午後9時頃、御旅所を御出立還御の途につく。

12時前、社前に着御あり。 かくて『渡御式』は終わる。

近郷近在よりの奉拝者頗る多く、その数、萬余に達する 』 又、祭列は下記のように記載。

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祭列 ← 宮太鼓台  ・ 取締役 ・世話人 ・提灯 ・ 猿田彦 ・ 社名籏 ・鉾 ・ 御大刀 ・ 箱提灯(社名) ・ 箱提灯(氏子中)

・ 取締役 ・世話人 ・提灯 ・ 社名籏 ・鉾 ・ 箱提灯(社名) ・ 箱提灯(氏子中)

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※ ・ 神饌唐櫃 ・ 神饌唐櫃  ・ 警固 ◎ 御輿 ・世話人  ・神職 ・ 一般供奉者

・ 警固 ・世話人

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以上のように、賑々しき祭典の様子がかかれており、「渡御式」が神聖で且つ美観であった事が想い
浮かびます。

尚 前記、元禄年間の「渡御式」に捧げられた「日月憧幡」が過日発見され、久しく我々の眼に触れずにありましたが、毎年元旦祭に社殿前に掲揚されますが、その「憧幡」のことに少しふれてみたく参考に成ればと思います。

憧幡 : どうばん

大漢和辞典には、①はた、②憧竿から垂れた幡、③種々の綵帛を以て荘厳にした竿柱を憧といい、長くたれた帛を幡という。

イザナギノミコト スサノオウノミコト

「日本書記」に依れば、 伊装尊の三子に「天照大神」「月読尊」「素盞嗚尊」があり、神社信仰崇拝の対象として「日は日の御子・天照大神・月は月の御子・月読尊」を太陽神話で自然神の神徳・恩恵を
祈願したものと思います。

憧幡の標示

祭神が鎮座地と緑故の深い聖地(御旅所)に出御することを「渡御」というが、その聖地(御旅所)が祭場であることを示す標示物として「憧幡」を掲揚したものです。
今日の祭りでは、一般的に山鉾だが、標示物としては幡・幟が用いられている。
また、楽車(ダンジリ)(関東地方では山車と呼ぶ)あるいは、曳山、屋台等は元来、神の神座であったが近年その本来の意味が忘れられ、単なる移動式「飾り物」となった例です。