まえがき

許麻神社の創建につい古文書等調べるに、当神社は、「久宝寺明細帳」に記されてある様に「社人は無御座候、すべて村持ちにて」と継承れるものがなく古文書等散逸して、漸く図書館などの資料より、記述することを得ましたが、古文書を繙(ひもと)くおり、日本の神道・神社の歴史について興味を覚えて、僅かばかりここに記述して見ました。

1.神々の歴史

「神様」と云っても、その定義が大きく3つに分けられる様です。
◇その1
超能力を信仰上の対象として崇められるもの、神社や寺院に祀られている多くの神々、例えば、菅原道真。。。。詩文に長じていたが不遇にして世を去り、天満天神、火雷天神などの名で呼ばれる神。
◇その2
人が死んだあと死体から遊離して不思議な呪力を持つと思われている霊魂である。
◇その3
精霊(spirit)で、霊魂信仰の一つといえるもので、草木や生物に宿る魂のことで、岩や山、木や石などを祀るのも、この信仰から
起こった習わしであると思われる。

2.日本の神道

◇(神道の神々)
日本の民族的信仰体系を神道と云い、江戸時代には、「かんながらのみち」とも呼ばれ、「祝詞(のりと)」にも、しばしばこの言葉が出てきます。
神道における神の考え方は自然界によるものが多く、太陽神として「天照大神」月の神として「月読神」である。
又、富士山等高い山や険しい山などを霊峰として「霊(くず)しくもいます神」崇めています。これらより考えると古代日本人の農耕生活に必要な自然の事象を神聖視したもので、「古事記」「日本書紀」では、天津神(あまつかみ)天上界に坐(います)す神と國津神(くにつかみ)(日本の国土に土着される神)とに分けています。
◇(本地垂辻説)
平安時代末期になり、戦乱などで社会不安が起こり、聖徳太子の憲法の第2条の仏教を國教とするとの詔勅から、神社を統括する寺ができ、その下に神社を位置すると云うようなことに成った。
これが、本地垂辻説(ほんちすいじゃくせつ)の思想が生まれた。
◇(神道理念)
徳川時代になり、「日本は神國なり」と云う説が生まれ、又「神道は昜道なり」の思想も興り易が普及されていき神道理念も変わり多種に亘った。
神道は、惟神(かんながら)の道であると祖先崇拝を主とした思想が純粋な神道であると本居宣長などの国学者が説いたので、これが現在へ神社神道
の基をなしていると思います。

以上、概略を考えて見ましたが、「信ずる者は救われる」との観念は、洋の東西を問わず共通しておりますが、近年はその信ずる事も薄れてきて、日頃の不信心は棚に上げて何か困った時だけ「神様・仏様どうかお救いを。。。。」とてを合わせる人が増えてきました。
日本人の中で信心の厚いのは関東より関西人が信心が厚く。
「信心が合ってこそはじめてご利益も」あると云う者と思います。。。。。合掌 拝礼