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厄年の意義

厄年(やくどし)と言うと、現代では病気や怪我、災難が起きる「厄介な年」と考える人が多くなっていますが、元来は違う意味を持っていました。

「厄年」は「役年」だった

かつて、日本全国の村々には必ず鎮守の杜(氏神様)があり、村人が協力してお祭りを行っていました。

このような組織は宮座や宮講などと呼ばれ、古くからありましたが、室町時代から顕著に発達したと考えられています。

宮座の中でも、一定の年齢に達した人はその経験を認められ、お祭りの重要な「神役」(神事に奉仕する役目)を任されるのが慣わしで、いわば通過儀礼の一種でもありました。

神役を務める年、すなわち「役年」を立派に乗り越えることで、少年から大人、大人から古老への仲間入りができたのです。

役年は災難に敏感な時期

この、「神様にお仕えする大事な役目を任される年」がもともとの「役年」でしたが、無事にお役目を果たすためには、普段に増して病気や怪我、家庭的・社会的な様々なトラブルを避けなければなりません。

そのために物忌(ものいみ)と言って、言動に注意し、心身を清浄に保つ必要がありました。大切な役年は、いつも以上に災難に敏感な時期でもあった訳です。

それが、いつしか災難を気にする面が強調され、現代のような「厄年」のイメージが定着していったと言われています。

【参考】厄祓いについて|神社本庁
https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/gyouji/yakubarai

ハワイでは「HAPPY YAKUDOSHI」?

ところで、厄年の概念は日本国内だけではなく、ハワイに移り住んだ日系人社会にも受け継がれていますが、その捉え方には差があります。

厄年はハワイの日系人社会に広く浸透している慣習のひとつですが、その年の迎え方は日本と大きく異なります。厄年パーティーは主に男性の42歳(満41歳)の誕生日に行われるパーティーで、主役は赤い服に赤いレイを身につけ、パーティー料理にも赤飯や鯛など赤い色の食べ物を並べるのが慣わしです。友人や親戚を集めて盛大なパーティーを開く人も多く、「ハッピー・ヤクドシ」と迎えられ、最後は万歳三唱で締めくくります。

https://www.hawaii456.com/society/yakudoshi_party.html

ハワイでの「YAKUDOSHI」はおめでたい行事として受け止められており、日本のネガティブな面が強調される「厄年」とは正反対のようです。

一方、厄年に「ぜんざいや甘酒を振舞う」「近隣や親戚に饅頭を配る」などの「振舞い」をする日本の風習は、パーティーを開いて周りの人をもてなすハワイの文化とも通じるものがあります。

厄年の現代的な意義

海を越えたハワイに伝わるYAKUDOSHIは、本来の「晴れの日」としての面影を残したもの、と言えるのかもしれません。

戦後急速に都市化が進んだ日本では、かつて村ごとに当たり前に行われていた、宮座を組んでお祭りに奉仕する神役としての「役年」の風習が薄れてしまい、災難を恐れる面ばかりが注目されるようになってしまいました。

それでもなお、現代の厄年には人生の節目として、次のような意義を見出すことが可能です。

役を再確認する年

家庭での役割、会社での役割、地域での役割など、現代でも私たちは様々な役を負っており、また、それらは年齢と共に変化していきます。

厄年をきっかけに、「自分の役を正しく自覚できているか?」「その役を立派に全うできているか?」と、自らの立ち位置を再確認することで、これからの進むべき道を明らかにできます。

習慣を見直す年

厄年は病気や怪我が起きやすいと言われますが、何事にも原因はあるものです。

食事や生活習慣、仕事の手順や車を運転するときの癖など、いままでは”たまたま”トラブルにならずに済んできたことも、振り返ってみると実は危険を孕んでいた、ということもあり得ます。

何気ない習慣を一度見返し、改めるべき点がないかを考ることが、災厄を未然に防ぐことに繋がります。

周りに感謝をする年

ハワイの「HAPPY YAKUDOSHI」に学び、自身を支えてくれる存在に感謝する年にしましょう。

厄年を迎えたということは、とりもなおさずその年まで生きてこられたということ。そのためには様々な存在から助けられてきたはずです。

それらの「お蔭様」に気づき、感謝することができる人間は自然と厄を遠ざけ、福を招くものです。

各地の神社で節分に年男・年女が豆をまき、甘酒などを振舞うのも、周りへの感謝の形です。

まとめ:役目を見つめて飛躍の年に

――車で接触事故を起こしたら、親に「厄年だからお祓いに行けば?」と言われました。
――仕事でトラブルが続いています。調べたら厄年だったのでお祓いしてください。

神職としてご奉仕していると時々、このような依頼を受けることがあります。中には「悪いのは厄年のせいだからお祓いすれば大丈夫。自分に非はない」と言わんばかりの人もいます。(少数ではありますが)

そのような方には上記のような厄年のお話をし、

「何気なく繰り返してきた自分の日々の行いを、一度立ち止まって点検してみる。改めるべき点に気づけたなら、それを改める努力をする。

そのうえでもし、人の力では免れ得ぬ災難があるならば、神仏のご加護によって大難を小難に、小難を無難に転じていただく。そんな心構えが大事だと思います」

と、お伝えさせていただいています。

厄年に当たる方は、この時期を災難が起きる「厄介な年」とただ心配するばかりでなく、「自らの役目」を見つめてこそ、さらなる「飛躍の年」に発展させることができるのではないでしょうか。

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